特別編Ⅱ『身近な者の死が教えた自分のこれから』 [ザッキ~the History]
これはサロンの先生はもちろん、ザッキ~の職場の先生方さえ知らないことなのだが
去年の5月ごろ、
自分の親父が交通事故で死んだっておかんから電話があったんだ。。
ちょっと前のクリスマスの話で
ザッキ~と親父の関係がちょっとは見えたかも知れないけど。。
小さい時から親父に遊んでもらった記憶はなく。。
物心ついたころには毎日浴びるほどの酒を飲み、おかんに暴力を振る父親の姿しかなかったから。。
“死んだ”と聞いてもはっきりいって何も感じなかった。
こんなことを書くと “ずいぶん冷酷なんだなザッキ~は” 。。って
読者の方は思うかも知れない。。
でも。。
酒乱で包丁を振り回し、自分たちを追っかけまわした親父。。
寒空の中、おかんと自分たち兄弟はどんなに惨めな思いをしたことか。。
最愛の祖母の容態が悪くなった時でさえ、
病院に連絡もせず動かしもせず、
(祖母の寝室の)隣の部屋で酒をかっくらってた親父。。
タバコの害が子どもに及ぶなんて一切考えもせず、キツいタバコを吸い、喘息持ちだった自分を苦しめた親父。。
そのどれもが嫌な思い出として心に焼きつき。。
死してさえ、憎みこそすれ父親だと認めることなんて出来なかった。
おかんや親戚の人たちは何度も自分に “親父の通夜に出席するよう” 催促してきた。。
しかし。。自分の中の憤りは決して変わることがなかった。
きっと親戚の人たちは“何て薄情な長男なんだ。不安な母親のそばにも居ずに”
そう思ったに違いない。。
でも、自分の心に嘘をついてまで葬式の行列に参加することはできなかったんだ。
だから葬式の日もいつもどおり学童に行き子どもと笑っていた。
これが自分なんだと。。
死んだ親父に何と思われようが。。
周囲がどんなに自分を非難しようが。。
当の本人の気持ちには到底近づくことは出来ない。
大好きな祖母が棺に入れられたあの日。。
自分は誰に促されることなく感謝の気持ちをこめた送別状をよむことができた。
それはそれまで祖母が自分を精魂愛してくれたからこその返答であり、
当たり前の行動として体が動いたのである。
弔いとは・・
そのものにどれだけお世話になったか?その気持ちを伝えるセレモニーでもある。。とザッキ~は思ってる。
確かに。。(周囲が言うように)
親父が働いたお金で学校にも通えたし暮らしにも不自由しなかったかも知れない。
でも、父親と言うのはそれだけで子どもから それ と認められるものではない。。
と自分は思ってる。。
子どもを愛すること。。
これには ふれあうこと、一緒に笑うこと、泣くこと、歩くこと、遊ぶこと。。
とにかく共有の時間をいっぱい持つことが含まれる。
もしこれがなくて。。ただ母親だけが育児をこなしていたら。。
子どもの心に父親という存在は残らない。
実際自分がそうであったから。。
むろん親は。。母親だけいれば事足りる。。って
一番大事な時期に心がそうなってたからなんだろ~けど。。ね
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ずいぶんと怖い思いをされていたのですね…
我が家は夫婦で父親には
いい思い出が無いのですが少し重ねて読ませていただきました
辛い過去があったとは
ザッキーお兄さんの明るいステージからは想像も出来ませんね(>_<)
お父様はきっとあちらで
後悔されてると思います
いつか時間が……とは
いかないかもしれないけどザッキーお兄さんの心から暗い霧?が晴れていきますように
今日は竹林サロンですね!娘と楽しみに見に行くのでよろしくお願いします(^-^)
by アロママ☆ (2010-01-18 08:13)
>アロママさん、今日も応援にきてくれてありがとう♪
今後の“きみにあえたから”で書き綴るつもりでいたのですが
今はこんな風に思うのです。
“傷ついた者でなければ真の楽しいステージは表現できない”
うわべだけで子どもと接している歌のおにいさんであれば、一つ一つの演目は薄っぺらなものになり客も飽きていく・・。
見ているものの心を打つ表現者とは“月夜の闇の心を持ちながら太陽の表情を演じられるもの”
この親父だったからこそ。。悲しきものの気持ちに寄り添えるニコニコ笑顔のおにいさんになれたんだって。。
by ザッキ〜おにいさん (2010-01-18 21:00)