特別編Ⅲ『10年愛~母と祖母から学んだ心』 [ザッキ~the History]
前回、最愛の祖母の死についてすこし語ったが。。
どれくらい好きだったか。。って?
中学生の時だったかな。。
おかんにひどく怒られ、外の犬小屋に佇んでた時、
≪バーパン(祖母)だったら自分の方が正しい。。って言ってくれる。信じてくれる≫
そんなことを考えるくらい。。好きだった。
当時、結婚するなら。。
“祖母のように”やさしい女の人と結婚しよう!って思ってた位(笑) (②-ん)
祖母もまた祖父と喧嘩をした際 “出て行け!”と罵られても
“孫と会えなくなるから”と心をとどめた。。っておかんから聞いた。
どこかに出かけるといつも甘味処のたっぷりあんこがのった串ダンゴを
“自分に”と買って来てくれた祖母。。
詩吟が好きだった祖母の影響をうけてか?
自分も人前で歌を歌ったり、おまつりのマネをしたり。。
周りが笑ってくれるのが何よりうれしかった。。幼少期の自分。
そんな祖母が内臓物を吐いて。。病院に運ばれたって聞いたのは
自分が実家を離れて東京の友達のとこにいた時だったかな。。
うちのおかんはある時期から祖母を自分のうち(茨城の実家)に呼んでね
≪これには深い事情が≫
もちろんあの親父もいたわけなんだけど。。
病院に運ばれてからしばらくして祖母に痴呆が始まったころ。。
≪実際は自分はこの場にいなかったので深くは分からないが。。≫
おかんの心の中で。。相当な葛藤があったらしい。。
あとあと聞いた話だが。。その場に居合わせたウチの弟が、
『そんなにバーパンを怒鳴るなら老人ホームに入れてしまえばいいだろ!』
とおかんを怒ったくらいだから。。
≪でも、自分の母親が変わっていく状態をみるのはどんなに過酷だったことだろう≫
決してきれいごとで済まされることではない。。と思う。
一度実家に帰宅した際、
寝たきりの祖母の(切開した)喉にチューブを通し、痰を取ってるおかんの姿を見て
思わず目を覆ってしまったことがある。。
その際おかんはこんな風に言った
『かわいそうだけど、こうしなかったら呼吸が出来なくなっちゃうんだよ』
一日二日立ち寄っただけの自分ですらこれほどツライのに。。
おかんは付きっ切りで。。朝から晩までほぼ一人で介護を貫いた。
どうしてそこまでできるのか?
おかんは笑ってこんなことも言ってた。
『病院に任せておいたら ろくなケアもしてもらえないし、すぐ殺されちゃうから。。
どんな姿になろうとも自分の母に変わりはないのだから。。』 と。
かたくなに自分ひとりで面倒を看るといったおかん。。
とうとう病院の先生もおどろく10年間もの間、完璧すぎるほどの介護をこなし。。
祖母をおくった。。
あの火葬場でのおかんの姿。。
自分の脳裏から一生消えないと思う。。
親類が立ち去るその場にずっと。。呆然と一人、炎を見つめるおかん。。
決して涙こそみせない母だったが。。
背中がすべてを物語っていた。。
この先。。自分がおかんがやったような介護をできるか?
はっきり言って自信がない。。
でも。。これからもきっと自分にとっての人生のお手本はおかん。。
ただ一人なんだと思う。
その生き様をしっかと目に焼きつけ。。
何年もの愛を、そのときが来たらかえせるように。。
ただ今はひたすら歩いてる。。
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