特別編Ⅲ『10年愛~母と祖母から学んだ心』 [ザッキ~the History]
前回、最愛の祖母の死についてすこし語ったが。。
どれくらい好きだったか。。って?
中学生の時だったかな。。
おかんにひどく怒られ、外の犬小屋に佇んでた時、
≪バーパン(祖母)だったら自分の方が正しい。。って言ってくれる。信じてくれる≫
そんなことを考えるくらい。。好きだった。
当時、結婚するなら。。
“祖母のように”やさしい女の人と結婚しよう!って思ってた位(笑) (②-ん)
祖母もまた祖父と喧嘩をした際 “出て行け!”と罵られても
“孫と会えなくなるから”と心をとどめた。。っておかんから聞いた。
どこかに出かけるといつも甘味処のたっぷりあんこがのった串ダンゴを
“自分に”と買って来てくれた祖母。。
詩吟が好きだった祖母の影響をうけてか?
自分も人前で歌を歌ったり、おまつりのマネをしたり。。
周りが笑ってくれるのが何よりうれしかった。。幼少期の自分。
そんな祖母が内臓物を吐いて。。病院に運ばれたって聞いたのは
自分が実家を離れて東京の友達のとこにいた時だったかな。。
うちのおかんはある時期から祖母を自分のうち(茨城の実家)に呼んでね
≪これには深い事情が≫
もちろんあの親父もいたわけなんだけど。。
病院に運ばれてからしばらくして祖母に痴呆が始まったころ。。
≪実際は自分はこの場にいなかったので深くは分からないが。。≫
おかんの心の中で。。相当な葛藤があったらしい。。
あとあと聞いた話だが。。その場に居合わせたウチの弟が、
『そんなにバーパンを怒鳴るなら老人ホームに入れてしまえばいいだろ!』
とおかんを怒ったくらいだから。。
≪でも、自分の母親が変わっていく状態をみるのはどんなに過酷だったことだろう≫
決してきれいごとで済まされることではない。。と思う。
一度実家に帰宅した際、
寝たきりの祖母の(切開した)喉にチューブを通し、痰を取ってるおかんの姿を見て
思わず目を覆ってしまったことがある。。
その際おかんはこんな風に言った
『かわいそうだけど、こうしなかったら呼吸が出来なくなっちゃうんだよ』
一日二日立ち寄っただけの自分ですらこれほどツライのに。。
おかんは付きっ切りで。。朝から晩までほぼ一人で介護を貫いた。
どうしてそこまでできるのか?
おかんは笑ってこんなことも言ってた。
『病院に任せておいたら ろくなケアもしてもらえないし、すぐ殺されちゃうから。。
どんな姿になろうとも自分の母に変わりはないのだから。。』 と。
かたくなに自分ひとりで面倒を看るといったおかん。。
とうとう病院の先生もおどろく10年間もの間、完璧すぎるほどの介護をこなし。。
祖母をおくった。。
あの火葬場でのおかんの姿。。
自分の脳裏から一生消えないと思う。。
親類が立ち去るその場にずっと。。呆然と一人、炎を見つめるおかん。。
決して涙こそみせない母だったが。。
背中がすべてを物語っていた。。
この先。。自分がおかんがやったような介護をできるか?
はっきり言って自信がない。。
でも。。これからもきっと自分にとっての人生のお手本はおかん。。
ただ一人なんだと思う。
その生き様をしっかと目に焼きつけ。。
何年もの愛を、そのときが来たらかえせるように。。
ただ今はひたすら歩いてる。。
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特別編Ⅱ『身近な者の死が教えた自分のこれから』 [ザッキ~the History]
これはサロンの先生はもちろん、ザッキ~の職場の先生方さえ知らないことなのだが
去年の5月ごろ、
自分の親父が交通事故で死んだっておかんから電話があったんだ。。
ちょっと前のクリスマスの話で
ザッキ~と親父の関係がちょっとは見えたかも知れないけど。。
小さい時から親父に遊んでもらった記憶はなく。。
物心ついたころには毎日浴びるほどの酒を飲み、おかんに暴力を振る父親の姿しかなかったから。。
“死んだ”と聞いてもはっきりいって何も感じなかった。
こんなことを書くと “ずいぶん冷酷なんだなザッキ~は” 。。って
読者の方は思うかも知れない。。
でも。。
酒乱で包丁を振り回し、自分たちを追っかけまわした親父。。
寒空の中、おかんと自分たち兄弟はどんなに惨めな思いをしたことか。。
最愛の祖母の容態が悪くなった時でさえ、
病院に連絡もせず動かしもせず、
(祖母の寝室の)隣の部屋で酒をかっくらってた親父。。
タバコの害が子どもに及ぶなんて一切考えもせず、キツいタバコを吸い、喘息持ちだった自分を苦しめた親父。。
そのどれもが嫌な思い出として心に焼きつき。。
死してさえ、憎みこそすれ父親だと認めることなんて出来なかった。
おかんや親戚の人たちは何度も自分に “親父の通夜に出席するよう” 催促してきた。。
しかし。。自分の中の憤りは決して変わることがなかった。
きっと親戚の人たちは“何て薄情な長男なんだ。不安な母親のそばにも居ずに”
そう思ったに違いない。。
でも、自分の心に嘘をついてまで葬式の行列に参加することはできなかったんだ。
だから葬式の日もいつもどおり学童に行き子どもと笑っていた。
これが自分なんだと。。
死んだ親父に何と思われようが。。
周囲がどんなに自分を非難しようが。。
当の本人の気持ちには到底近づくことは出来ない。
大好きな祖母が棺に入れられたあの日。。
自分は誰に促されることなく感謝の気持ちをこめた送別状をよむことができた。
それはそれまで祖母が自分を精魂愛してくれたからこその返答であり、
当たり前の行動として体が動いたのである。
弔いとは・・
そのものにどれだけお世話になったか?その気持ちを伝えるセレモニーでもある。。とザッキ~は思ってる。
確かに。。(周囲が言うように)
親父が働いたお金で学校にも通えたし暮らしにも不自由しなかったかも知れない。
でも、父親と言うのはそれだけで子どもから それ と認められるものではない。。
と自分は思ってる。。
子どもを愛すること。。
これには ふれあうこと、一緒に笑うこと、泣くこと、歩くこと、遊ぶこと。。
とにかく共有の時間をいっぱい持つことが含まれる。
もしこれがなくて。。ただ母親だけが育児をこなしていたら。。
子どもの心に父親という存在は残らない。
実際自分がそうであったから。。
むろん親は。。母親だけいれば事足りる。。って
一番大事な時期に心がそうなってたからなんだろ~けど。。ね
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感動秘話『ザッキ~おにいさんができるまで⑯』 [ザッキ~the History]
でもね・・
負け惜しみをいうわけではないけど “これでよかった” って今は思うんだ。
なぜ?って?
≪あとあと。。保育士さんの仕事の大変さがよ~く分かったから♪≫
実はこの試験を受けた年、すでに自分は人生の選択にせまられてて。。
というのは3股かけもちでやってきた学童を一つに絞らないか?
って話が出てたんだ。。そのころ。
すんごく悩んだよ。。試験の勉強しながら。
どの学童も子ども達の関係がほどよく出来上がってたし、先生方ともいいコミュニケーションがとれてたからね~。
でも。。ある学童の子ども達に強く魅かれてしまってたんだな。。おに~さんは
だから。。この学童に決めた!
いったん関わった子どもの手を放すことはすっごくつらいことなんだけど。。
夏休みだけの臨時で入ったこの学童。。
子ども達が自分を求めている。。って~のがビシビシ伝わってきちゃってね。。
実は。。ザッキ~が入って早々ある事件??があってさ。。
ブログに書くことは出来ないんだけど。。≪ま~、スクールウォーズみたいな感じ≫
その事件をきっかけに子ども達との距離がグングン近づいてさ。。
子どもたちもそうかも知んないけど、自分の方も彼らが可愛くって仕方がなくなってさ・・その気持ちは自然に、他の学童の子を思う以上になっていたんだ。
それになんといっても、このザッキ~を採用してくれた園長先生の一言が決め手かな
まだ会って間もない自分に
『(子ども達の事)あなたに全てお任せするから・・』 って言ってくれたんだよ
ザッキ~がどんな人物かも分かっていなかった頃に。。
うれしかったな~。
人から “あなたしかいない” “必要だ” って言われることくらい
最高なことはないよね~
だから。。
どれだけできるか?わからないけど、この先生のために頑張ってみようって。。
自分の思う、子ども達をここでなら育てることができる・・って。
そうそう!保育士試験をあきらめたのは。。
この保育園に来て保育士の仕事を目の当たりにしたから・・なんだ。
その仕事の量は半端じゃないよ~。
危険を回避することはもちろん、時間通りに体温をチェックしたり食事の補助をしたり排泄のサポートやら保護者とのコミュニケーション、年間行事などの計画。。それらをすべて日々に盛り込み、なおかつ子ども達が楽しめるように工夫してるんだからね~
少なくともおにいさんは。。出来ないなって思った。
でも人生、不思議なもので。。
出来ないって言ってたおにいさんが園長先生のお願いをうけ
保育園の乳幼児さんのサポートも入ることになるなんてネ~
周りの人はハラハラするだろ~けど。。
案外おにいさんは自由気ままに人生を楽しんでる♪
これがおにいさんの生き方だから。。
きっとこんなワクワク感が子ども達の気持ちにと~っても近くって。。
幼児さんにまでタメで話しかけられる所以なんだろ~な
~ このおはなしは次回につ・づ・く ~
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感動秘話『ザッキ~おにいさんができるまで⑮』 [ザッキ~the History]
居酒屋でのバイト、なにが楽しかったかってお店のママのまかないもチョ~おいしかったし
何より学童でおこった子ども達とのバトルを聞いてもらえるのがうれしかった
ある日、ママと話してるうちに “これからの学童の先生は資格の一つも持たにゃ~” って気分になったおにいさん。歳をも省みず保育士試験にチャレンジすることにした≪もちろん、学童の夏休み預かりと平行して・・だったからかなりのハードワークだったよぉ≫
まず考えたのは保育士の資格がとれる大学に入って科目履修してしまうコース。
ところがネットで調べて希望の大学に連絡をとったら、そのコースはその大学に入ってる学生にのみ有効なコースだということがっかりしたが次の手へ・・
おつぎは今はやりのU-CAN(通信教育)で資格をとるコース。
おにいさんさっそくU-CANにとりかかってイチから学習しはじめました。
アレってやったことがある人はわかると思うけど・・ほんと自分との戦いみたいなとこあってこの日までに教材をここまで終わらせて⇒このテストを自分でやって先方に送り⇒採点してもらって出来なかったところを自分で見直す・・って感じだからよ~っぽど意志が強い人じゃないと続かないな~って思った。
おにいさん、どうしても資格とりたかったし、11教科あまりの保育資料も全部目を通してみたよそしたらさ~
あることに気づいたんだ。
運良く資格をとったとしても・・年齢制限というか?働き口をこの地方で探すって~のが難しいらしいのねそれ見た時、おにいさん・・ハ~??って気持ちになっちゃって暫く気力が失せたよ。
でもすでに受験票を手配した後で・・
結局、8月の暑いウイークデー、保育士試験に行くことにしたんだ。
宇都宮の駅からバスに乗りかたみち30~40分くらいだったかな?
途中乗車してくる女の子のすべてが “これから試験で~す” 組で(笑)
TVのCMじゃ~ないけど片手にU-CANもってバスの中でも勉強してた。
到着したザッキ~を待ってたのは壮大な森林を開拓してすんばらしくきれいな立地条件を兼ね備えた某短大
胸ドキドキの試験がまさにいま!始まろうとしていた・・
≪このおはなしは次回につ・づ・く・・・≫
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感動秘話 『ザッキ~おにいさんができるまで⑭』 [ザッキ~the History]
ほんとはね、皆といっしょに卒業したかった・・ザッキ~も。
でもザッキ~みんなの前で泣いてるの、見られたくなくってさ(笑)
こういうとこかっこつけすぎ・・なんだよな~。
ボラメンバーにも、もちろんM先生にも “最後くらい思いっきり泣いちゃえ” っておされてたんだけど
やっぱザッキ~はオスカルのごとく最後まで凛々しくありたかった
“薔薇は薔薇は~気高く~咲いて~
薔薇は薔薇は~美しく散る~”
冗談はさておき、本当はその次の日、サロンのお仕事が入っててね。
そのための準備をしておきたかったんだ。
演目選びやら小道具の制作やら・・やることいっぱいで卒業式どころ?ではなかった。
(また当時、それプラス居酒屋のバイトもしてたからね~。超いそがしかった)
ということで・・
その日は式に出ず、図書館で必死に絵本選びをしていたザッキ~。
お昼くらいだったかな~突然お尻のポケットにいれてた携帯がブルブルいって・・
だれかな~?って着信履歴みたらボラメンバーのT君♪
内容みてザッキ~、感無量になってしまったよ
そこには卒業証書の一文が
式に出なかった自分を心配してT君が学長に代わってメールで表彰してくれたのだ
なんて子なのだろう~
入学当初、あんなに学生を嫌っていたザッキ~がこんな思いにさせられるなんて(泣)
学生の中にもこんなにやさしい、仲間思いのやつがいた・・それだけでザッキ~は十分幸せだった。
式に出なかったこと・・後悔はしていない。
自分の中に残ってるものは証書以上に大きなものだったから・・。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
で、卒業した後のザッキ~、どうやって生活してたか? みなさん興味あるでしょ?
もちろん大好きな子ども達と “さよなら” なんてしたくなかったから・・
今まで行ってた学童にはそのまま臨時の職員として入ってたし、
保育園でのうたのおにいさんもだいぶ定着してきてたから継続していきたいと思ってたんだ。
けっきょく・・
2件の学童(臨時の職員)と4件のサロン(うたのおにいさん)をかけもち、
週末は居酒屋でバイト(貴重な収入源)・・って感じで生活をやりくりすることにした。
はっきりいって・・学童は収入に結びつくものではなかったからね~
子どもが好きだったから長くやってこれたんだろ~な。
『こんどはいつくるの?スーパー』
その言葉がうれしくって行っちゃってた
そうそう・・スーパーってニックネームなつかしいな~
ザッキ~、大学時代髪の毛、金色にした時あってさ~(笑)
ほら!ブリーチした髪にカラー入れてたんだけど・・それがおちてくる時期あるでしょ?
そんなとき、初めてその学童訪問をしたんだけどね・・
そのころ1年生だったある男の子がザッキ~をみて
『こいつスーパーサイヤ人みたい!』
ってさけんだんだ。
≪分からない人のために説明すると・・ いまや国民的人気漫画となった『DRAGON BALL』 の主人公、孫悟空が変身してMAX状態になった姿を “スーパーサイヤ人” っていうんだけど・・金色の髪の毛逆立てた姿がどうもブリーチ髪のザッキ~とかぶったみたい≫
そしたら毎回訪問するたんびに『スーパーサイヤ』 『スーパーサイヤ』 みんなで言ってさ
結局その子が学童やめてからも代々語り継がれて・・
いまだに訪問すると当時のザッキ~を知らない子まで 『スーパースーパー』 言うんだ(笑)
不思議だよね~子どもの世界って。
誰かが言い始めた言葉がなが~く伝承されちゃうんだもの
≪考えたら・・ザッキ~が今、勤務している保育園でも
園児さん達、口をそろえてザッキ~、ザッキ~言ってるもんネ♪≫
おぼえてるかな~?ボラメンのヌッキ~やT君ならきっと
“ザッキ~” のニックネームのゆらい。
養護施設訪問初日、施設の子に名前を覚えてもらおうと
とっさに口走ったのがこのネーミングだったんだよね
“こまつざき” では長すぎて “かみやすい” し・・
幼児さんにはなかなか覚えてもらえなさそ~
だれからも愛されるニックネームを!というわけで・・
当時 “タッキ~” や “ベッキ~” な~んてタレントさんのニックネームも頻繁に耳にしてたしね!
思わず “ザッキ~” と名乗ったのがきっかけ。
そうしていつの間にやら・・訪問してたサロンでもザッキ~おにいさんと語るようになったのでした。
≪このおはなしは次回につ・づ・く・・・≫
感動秘話『ザッキ~おにいさんができるまで⑬』 [ザッキ~the History]
ひとつひとつの封筒には見覚えのある名前が書いてあった。
なかには “ジャッキ~” と書いた字を消しゴムで一生懸命消し、急いでザッキ~と直したもの、
折り紙先生へと書き、“へ”の字に斜線を入れてかわいくしたものなどもあった・・。
封筒のなかを見てみると思わずふきだしそうになるようなイラストが入ってたり、
おみくじ風に蛇行した線が裏まで続いている紙などが入れられてたりと・・
それぞれが色々と工夫してありその子たちの顔までがしっかりと浮かんできた・・。
文章を読んでいてザッキ~はまたまた、ジーンとさせられた。
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『忙しいのにいつもボクたちの為に本を持ってきてくれてありがとう。
でも、そんなに本を買ってザッキ~はお金大丈夫なんですか?』
『忙しいのにザッキ~サンタで2回も僕らを楽しませてくれてありがとう。
まさか2回もザッキ~サンタが来るとはビックリ・・』
『毎週、ザッキ~が早く来てくれないかな~早く来てくれないかな~と楽しみにしてました。
もう会えなくなると聞いて “え~最悪”って思ったよ 』
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あの子たちは・・
自分のことよか、ザッキ~の事心配してくれてたんだ
そうなんだよ・・
あの子たち、どんなに親にひどいことされても
心の奥底では必死に求めてんだよね・・
悪いのは親ではなく自分に責任があるから・・
いや、親をいじめる社会が悪い・・
絶対に信じるものか! 自分を、自分の家族をそういう目に合わせた社会を!
あんな小さな心で必死に頼れるものを求めながら・・
それでもそれを手に入れることが出来ずもがいている・・。
こんなに人をいたわる心を秘めながら・・
それすらもうまく表現できない彼ら・・。
十分すぎるくらい自分には分かってた・・。
初めて会った時からね・・。
自分を見てるようだったから・・
だからあの場所にいるとホッとした。
やっぱり家族になってたのかもね・・ザッキ~も
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
やがて春が訪れ・・大学の卒業式がやってきた
だが、ザッキ~はその式に出ることはなかった・・。
≪このおはなしは次回につ・づ・く・・・・≫
感動秘話『ザッキ~おにいさんができるまで⑫』 [ザッキ~the History]
とうとう自分の番がやってきた ≪ドキドキ≫
なにを言ったのか・・自分がどんな顔して喋ったのか?
残念ながらもうほとんどおぼえていない・・。
ただ自分をみつめる彼らの目があたたかくて
“やっぱりここに居たい” って心がダダこねてたのはおぼえてる。
ほとんど家族同然のように接してたから なおさらね・・。
**********************************************
実は・・この “お別れ会” の日時が決まったある日、
ボラ担当のM先生がこんなことを言ってくれたんだ。
≪すでに先生は自分の心が施設から離れられなくなっている事に気づいてたんだね≫
あの子達のためにもちゃんとしたわかれを見せることは大事なこと・・ それができるのはザッキ~だって。
考えてみれば・・自分の意思とはうらはらに親に見捨てられたり、
唯一守ってくれるはずの親から乱暴されたり・・信じる心、愛するものを失ってしまった、そんな
彼らの頭にある “別れのかたち”とは相手側(母親・父親の)一方的なものだったに違いない。
そんな彼らにとって
おりがみを頼めば必ず作ってくれる“ザッキ~おじさん?” は約束を守ってくれるひと・・
≪そのくらいには思ってもらえてたかな≫
だからこそ、その “信じてもいい人” が、ちゃんとした別れのかたちを見せることが大事なんだって。
今だからこんな風に受け止められるけどさ、
当時はM先生は、な~んて薄情なことしてくれんだろって思ったよ。
こんなに深く関わらせといて斬るときはスパって斬れだなんて
しばらくはザッキ~立ち直れなかったんだから・・淋しくて。
約束を守る・・これだけはどんなことがあっても通してみせる!
ザッキ~、これだけはどんなことがあっても通そうって心に決めてたんだ。
もち、剣の制作はと~っても大変な作業だった。
ザッキ~が卒論で制作した紙芝居の厚紙を切り刻み、色画用紙を巻いたり、ホイル折り紙をつけたり・・。
子ども達が遊んでて、つつきあっても怪我をしないように剣先は丸く削る配慮を・・。
それから最も力を入れたのは子ども達各々の希望を忠実に再現してあげること。
こんなマークがついた“炎の剣”とか、誰よりも長く柄の所が銀色の“ロングソード”がイイとかネ♪
どうしてここに力を入れたかって言うと
子ども達が心で描いている夢の部分でもあるって思ったからなんだ。
集団生活って・・ある意味、自分を押し殺して生活しなきゃならない部分大きいじゃない?
子ども達と関わってて・・
自分が好きに出来るものって限られちゃうんだな~って実感して。
せめて、こんなおもちゃくらいザッキ~おじさんが夢みさせてあげよう!ってさ。
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自分のあいさつが終わってからすぐ、園長先生が立ち上がって袋に入った剣を持ってきてね、
『ザッキ~さんから直接子ども達に渡してあげてください』 って言うんだ。
こどもたち、いっせいに自分の周りに集まってきて・・バーゲン会場のように(笑)
名前が入ったそれぞれの剣を手にして大喜びしてた。
ふと見たら!
思った通り一組の男児たちが剣を使って斬りあいを始めてるでは!!
おもわずおにいさん、
『その剣は人を傷つけるためのものではないよ・・人を守るために使うものなんだ』
そう叫んでた。
続いて園長先生も同じ事を復唱してくれた。
『ザッキ~さんがいったでしょ! その剣は人を守るためのものなんだって!』
この言葉が効いたのか?ふたりとも照れ笑いしながら離れていった。
そして・・会は無事終了し、自分達は控え室に通された。
おにいさんたちボラメンバーはドキドキの挨拶が終わったこともあって
ホッとした面持ちで語り合っていた。
M先生もやってきて、自分達にねぎらいの言葉をかけてくれた。
ふと・・先生が “ザッキ~に” と、6通のかわいらしい封筒を差し出した。
≪このおはなしは次回につ・づ・く≫
だいすきなみんなへ・・ byザッキ~
感動秘話『ザッキ~おにいさんができるまで⑪』 [ザッキ~the History]
とうとうその日がやってきてしまった
大学4年・・卒業を前にした、まだ寒い月の夜
彼らと自分達ボランティアグループとの “お別れ会” が施設でおこなわれた。
ザッキ~、彼らからは毎週木曜日にやってきて折り紙の恐竜やカブトムシ、バラの花や指輪などを作ってくれる工作のおにいさん?(おじさんかな)に思われてたみたいで・・
行くと必ず 『次はこんなの作ってきて!』
とか、『〇〇ちゃんよりスゴイの作ってきて♪』
って10人くらいの子に頼まれて毎回せっせか、せっせか作っていたんだ
そうそう、なかでも子ども達に人気があったのは
暗闇でひかる『ザッキ~妖怪カード』
たまたま蛍光折り紙を数枚持っていったら好評だったので
これに手を加えたら・・子供心をくすぐる素敵なものが出来るのでは?と
自分が子どものころ、駄菓子屋で夢中になった “カードくじ” をイメージして作ってみたんだ
実はさ、ザッキ~の卒論テーマも 『子どもとコワイ紙芝居について』
って内容で、昔も今も子ども達はこわいものに魅かれるってことを事前にちゃんとリサーチしてたんだ。
ま~、制作当初は
自分の頭にあるホラーキャラクターが中心で
それらを紙に書いて、蛍光折り紙にうつしとり、
切り絵のように無駄な部分をカッタ~で切り抜いていくって感じで作っていったんだ
子ども達の希望としては・・魔女や河童、鬼太郎やねずみ男、なぜだかゾンビが多かったな~
それも女の子の希望!
≪ゾンビつくんのが、いちばん難しかったな~ザッキ~≫
それ、持っていったらスゴイ人気でね~
作った本人も手放したくなくなる位の出来ばえだったんだ~
持って行けばいくだけ飛ぶようになくなっていった
そして・・
さよならの前の週も子ども達からある依頼を受けてたんだ・・ザッキ~。
それは“ 剣 ”・・・。
どうして子ども達が “ 剣 ” を希望したのか?みなさんは分かりますか?
彼らは“自分を守るなにかを常に求めてる”からなんです。
本来なら・・その役割は父親もしくは母親がやってくれるものなのでしょう。
しかし、彼らにはその存在がない。あったとしてもすごく不安定だから・・
ゆえに・・・“ 剣 ” なのです。
そこには “誰も信じられない” という叫びがこめられているのです。
ここまで書いて・・勘のイイ方ならもうお分かりだと思いますが
以前のザッキ~と、この施設の子ども達の気持ちは同じものだったのです。
だから・・ともに魅かれあった。
そうザッキ~は思ってるんだ。
もしかしたら・・M先生には最初からそれが見えてたのかもね
≪だって心理学者だもん≫
それだから、2年間もこの施設の訪問をゆるして下さったんだ・・きっと
あの『お別れ会』のこと
いまも心に残ってる・・。
メンバ~一人一人が子ども達前に挨拶していくんだけど
しょっぱな園長先生が挨拶しながら泣いてるし・・・
火がついたボラメンの花、Hちゃんまで声ウルウルで泣いちゃうんだもん
その姿みてたザッキ~、ほんとヤバかったよ~
たとえ悪いけど死刑の判決をまつ囚人のような面持ちで・・・
あ~もうすぐでザッキ~(前から7番目くらいだったような?)
そして・・
ついに自分の挨拶の番がやってきて・・・
≪このおはなしは次回につ・づ・く≫
感動秘話『ザッキ~おにいさんができるまで⑩』 [ザッキ~the History]
養護施設で一番の思い出はサンタクロースを2回もやったこと
その1回目は親友の“ヌッキ~トナカイ”と一緒に・・。
どちらもすてきな夜だったな~
円をかくように並べられた席に座る幼児さん、小中学生・・
中央にはおいしそ~なごちそうが
われわれボランティア一行は、M先生の考えたお笑いステージ?で子どもたちをわかせ、
途中からザッキ~&ヌッキ~は(子ども達に見つからないように)こっそりスタンバイ
応接間で着替える我々はどんなあいさつをしようか?頭悩ましてたっけ♪
≪たしか、1回目のクリスマスのテーマがお野菜さんだったから?≫
照明が消え、司会の指導員さんが 『サンタさんが到着したみたいです』 と一声
≪ドッキドキ≫
登場の瞬間、一斉にクラッカ~が
『わ!なに~これ』
驚きながらもごあいさつ 『メリ"クリス"マス~!み"んなげんき"にしてだがな~』
※サンタやったことある人なら分かると思うんだけど付け髭の綿が口を動かす度に入ってくるんだよね~
自分でもなに言ったかわかんないくらい、もごもごもごもご喋ってたのを覚えてる
そして・・子ども達が一番に楽しみにしていた “プレゼント” をわたすときが~
円の端(幼児さん)から順にプレゼントを配るザッキ~&ヌッキ~トナカイ。
もう少しで配り終えると思ったら 『きゃ~!なに~』
ザッキ~の背後に誰かが!
と思ったらサンタパンツのお尻の部分がビリ~って
いたずらっこはどこにでもいるんざます
だれがやったかはここじゃ~いえませんがね?
2回目のサンタ登場はまたこっててね~
なにがって?登場シーンがまるで正義のヒーロー“ザッキ~マ~ン”
その施設の屋上にあがって・・1階フロアにいる子ども達に大きく手を振るって設定なんだ
いや~笑っちゃうほど気分良かったよ♪
出番待ちがちょっとこたえたけどね
ボラメンバ~と施設の子ども達が和気あいあい会話してるフロアのすぐ近くの部屋で、
じ~っと(サンタのかっこうして)息を潜めて出番まってたんだから~
でも、待ったかいがあったよ~! 『あ!あれはだれだ!』
指導員の方の心にくい演出!
サ~チライトによって浮かび上がる “ザッキ~サンタ”
≪かっこい~!!≫
屋上から手を振る “ザッキ~サンタ” をみつけた子ども達、もう何人かは正体分かってたみたいで
『ザッキ~だ!』
『サンタはザッキ~だよ!!』
『あいつ~』
って叫びながら屋上まで走ってこようとしてたんだ
すでに逃げ道?を聞いていたザッキ~は
今度は消防官さながら一階の庭先につながる鉄棒にしがみつき降下
なんとか子ども達に見つからず隠れ部屋に帰れたんだ
ほんとザッキ~、この日ほど面白くってドキドキした日はなかったな~
おっと!最後に、今回使用したフォトの説明を
これは2005年12月6日に東コミュニティ~センタ~で行われた『ニュ~マム&パパクリスマス』の時のもよう
あれから・・もう6年も経つんだな~
ちなみにザッキ~おにいさんの師匠である“Yおねえさん”も写ってるんだけど・・・
それはまたべつのおはなし・・
≪このおはなしは次回につ・づ・く≫
感動秘話『ザッキ~おにいさんができるまで⑨』 [ザッキ~the History]
前回は学童ボラ時代の話をしたけど
今回はそれ以外に体験したボランティアのことについて話すね。
≪つながりとしては感動秘話『ザッキ~おにいさんができるまで⑥』の後あたりに≫
大学3年の時、Y先生がなくなるという悲報が入りショックを受けていたおにいさん・・
悲しみにくれる反面、実は・・やりがいがあるボランティア活動、そして新しい仲間にも出会っていたんだ。
おにいさんの通っていた大学では、3年次になると地域の施設などに貢献したりその土地の人々とコミュニケーションを図ったりするユニークな必須授業がもうけられててね・・
おにいさんはM先生が担当している『児童養護施設へのボランティア』って募集内容をみて
『トライしてみたい!』って思っちゃったんだ。
ザッキ~の心理構造っていつもこう。突発型っていうの?
インスピレーションで “ピピッ” ってきたら、すぐトライしないと気が済まないタイプなんでこれに即決!
(イケないことだけど)養護施設ってどんな子がいるんだろ~か?って興味も大きかったんだよね~。
ほら、養護施設っていうと大半の方は、体の不自由な人たちがリハビリに訪れたり、サポートする人たちと共に生活している場所をイメージするでしょ?
でも、おにいさんたちが訪問してた場所は違うんだ。
何らかの事情(育児放棄や虐待等)で親が子どもと一緒に暮らせない場合に預かっている場所・・おもに乳幼児~中学校3年生くらいまでの児童数十人がサポートしてくれる先生方と共に生活している場所なんだ。
M先生いわく“当面は中学生の学習サポートをメインでサポートに入る” ということで
足がないおにいさんは親友ヌッキ~の車に同乗させてもらい毎週足しげく施設に通ったんだ。
当初、M先生の“事前オリエンテーション”で(施設内で使用してはいけない言葉や、行動、児童に対する配慮等)かなり脅かされてたザッキ~&ヌッキ~は互いに車内で不安げな表情をしていた。
しかし・・ふたをあければなんてことはない
施設に着くなり、M先生の脅かしとは裏腹に可愛い幼児達のお出迎え、にこやかな園長のスマイルと・・
その家庭的な雰囲気にほっ♪ 一瞬にして心が穏やかになった。
もちろん(何回か訪問しているうちに)
いろんな憤りや悲しみが子ども達を取り巻いてる・・ってことも分かったけど、
でもいつも自分達は “外にいる子もココにいる子も同じ。一生懸命接していれば必ず自分達に心を開いてくれる!”って信じて接していったんだ。
そのかいあってか?次第に自分達と施設の子達の関係が密接になっていってね
そればかりか・・
毎回訪問している自分達も変化していってることに気づきはじめたんだ
訪問前はよそよそしく、互いの会話さえ、ぎごちなかった、この“ボラグループ”が、
まるで家族のように繋がってきたっていうか・・・
驚くなかれ!ザッキ~自身にさえ大きな変化が
今まで当たり前のように自分の周りにいた先生や友人(若き学生たち)を“愛しい存在”として捉える自分ができてきてたんだ。
『ヌッキ~ありがと~♪ みんなありがと~!』
不思議だよね~
変えるつもりでいった人間が逆に変えられてたんだからさ
≪ず~っと後になってM先生を尋問したら・・初めから自分達も変えてやろ~って思ってたらしいよ。≫
≪・・たく!これだから心理学者は隅に置けないよ~≫
でも、M先生にはすごく感謝してんだ~
Y先生が亡くなって・・
また、大学は卒業証書をとる目的の為だけに通っている場所、
学生とのコミュニケーションなんてとらなくたって自分には学童ボラの子ども達がいるんだし・・
って考え(ある意味、“自分だけしか信じない” “他の誰も信じるもんか!”って考え)に戻り、かたくなに学生達をひなんするようになっていたザッキーを周りに感謝し、慈しむの心をもつザッキーへと変えてくれたのだからネ!
そう!自分をさらけだすことの素晴しさも教えてくれたんだ(笑)
ほんとザッキ~は幸せだね♪
大学時、こんな素晴しい先生2人、そして愛しい仲間に出会えたのだから・・
そうそう!これは余談になるけど・・
それまで“おりがみ”なんて興味もなく、ツルさえ折った事のなかったザッキ~が
“施設にいる子達に何かしてあげたい” って熱いきもちだけで練習
いつのまにかヘラクレスカブトや恐竜まで折れるようになったのも今、考えればほんと不思議。
でも、『芸は身を助ける』とはよくいったもので・・
何の気なしに子ども達のために折っていた、このおりがみ制作の腕が、この後の学童指導員としての自分を助け、さらに人の輪を広げる事になるとは・・。人生ってわかんないよね~
≪このおはなしは次回につ・づ・く≫
~ザッキ~作品集~