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感動秘話『ザッキ~おにいさんができるまで⑧』 [ザッキ~the History]

サロンの活動と平行するように・・
学童ボランティアで長くおつきあいをしていたNサロンからお誘いをうけ臨時の職員を引き受けたおにいさん。
最初は子ども達を怒れなかったんだ。
指導員の先生方からは『もっとビシバシ怒るときは怒って!』って言われてたんだけどさ、
“かわいくて” というか、自分が嫌われたくないって気持ちが強かったのかな~?
笑ってごまかしてた。

でもある日、どうしても怒らなくちゃいけない場面に遭遇してね[ひらめき]
その子は確か小2いや、3年生だったかな女の子なんだけどね、
おにいさんがやさしく接しようとすればするほど反抗的な態度をとる、あまのじゃく的な返答をするんだ。
プラス、下から斜めに目を反らすような感じでいつもおにいさんをにらむ表情をとるんだよね~なぜか
はじめは見て見ないふりしてたんだ・・というか先生方も何も言わないしね。

でもある時、これは目上の人に対して言う言葉ではないぞ?って言葉をなげられて
(何て言われたかは忘れてしまったんだけどかなりヒドイ言葉だったように思う)
おにいさんもキレた!そして、
『Kちゃん、そんな言葉ばっかり言ってるといじわるばあさんみたいな顔になっちゃうぞ!』
って言っちゃった。[ちっ(怒った顔)]
『なんないもん』っていって又、例の表情をした彼女・・。
正直 “かわいげないな~。他の子はみんな自分になついてくれてんのに~” って思ったよおにいさん。
こんなこと言うと自信過剰に聞こえちゃうだろ~けどさ、ザッキ~、大半の子にはウケがイイって自負してたからさ~(笑)
言った後さ、何かかわいそ~だったかな?なんて思ったりしたけど、
その子の今後を考えたら誰かが言っておかないといけないんだよね~。

いまなお学童に携わっていろんな親子みてるザッキ~としてはさ、
最近の親子は遠慮しあってるっていうか、イイお母さんでなければいけない、イイお父さんであらねばならないとかっこつけすぎてる人が多いように思う。

いいじゃん。親だって・・出来ないものは出来ない、ありのままを見せる・・素っ裸になってさ~?
たとえ嫌われようが、クソババー、ジジイ呼ばわれしようが怒るときは怒る!引っぱたく時は引っぱたくでさ?
誰の子でもない、自分達の子なんだよ?
それをほかの誰かがやってくれるって思うのはちょっとムシが良過ぎるよ。

おにいさんのおっか~は恐かったで~[パンチ]
“ケツバット”に“線香”だったから(笑) ≪詳しくはまた後の回で≫

とにかくそれ以来、その子にとって今直さなきゃ!ってタイミングには
(ママパパからみたら)お節介だろ~けど“金八”なみの説教しちゃってる。
“嫌われたってイイ!” 
いつか・・ザッキ~がどうして怒ったのか?
分かる時が必ずくる・・きっと!

たしか金八が言ったセリフの中にもそんなのがあったな・・

“教育とはすぐに結果がでるものではない。 怒られたその生徒が何年かいや、何十年か経って道端を歩いてる時、 ふと立ち止まって 『あの時先生が教えてくれた言葉はこういう事なんだ!』って気がついてくれた時に 初めて達成されるもの” なんだって。

いろいろ反論はあるだろ~けどさ、
“ザッキ~おにいさん流の子どもの愛し方” って、こうなんなんだから仕方ないよね?



≪このおはなしは次回につ・づ・く≫




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感動秘話『ザッキ~おにいさんができるまで⑦』 [ザッキ~the History]

はじめてA保育園で紙芝居をやったあの日・・
ホールに集まったママ&乳幼児は10名前後。みな緊迫した表情でおにいさんの挨拶を聞いていた。
『ザッキ~おにいさんで~す!』 って張り切って入っても[手(パー)]

全体的になんじゃそれ??って不思議そ~な表情で見つめられるだけで・・
子ども達も又、思い思いに動き回って収集がつかないって状態だった。

当時のおにいさんは今のようなパフォーマンスはしてなくって、ただ絵本や紙芝居を読んでパペットを動かして~みたいな感じだったからね~[バッド(下向き矢印)]

手遊びや歌などはおおかた、大女優のYおねえさん(また別の回に説明いたします)に助けてもらってやりくりしていたようなもんだから(笑)

思えば・・おにいさんに乳幼児&ママ達との付き合い方、お笑いのイロハを教えてくれたのもYおねえさんなんだよな~[わーい(嬉しい顔)]
だってそれまで教育TV『おかあさんといっしょ』を真剣に分析した事なんてなかったからね[るんるん]

タイムリーだったとも言えるのかな?
偶然、Yおねえさんに教えてもらってTVをつけたら[TV]ゆうぞうおにいさん&しょうこおねえさんが出てて[カラオケ]

いや~目からウロコ[フリーダイヤル]
もともと何にでも影響されやすいおにいさんでしたが、この二人のインパクト・・
とかく “しょうこおねえさん” の目力には恐れ入ってしまって[むかっ(怒り)]

“なんとかこの雰囲気をマネ出来ないもんだろ~か?” と何度も何度もビデオを巻き戻しながら二人の魅力を学習したのでありんす[TV]
それからかな~おにいさんがこわれ始めたのは(笑)
もち!イイ意味でだよ[わーい(嬉しい顔)]いまのおにいさんのベースはこの時に確立したんだね[黒ハート]ひまさえあればマネしてたな~。
いまだに風呂場で “ひとりおかあさんといっしょFコンサート” (おにいさんがひとりで全キャラクタ⇒しょうこおねえさんや体操のよしおにいさん、スプ~やズズのマネまで)演って思わず3時間が経過・・なんてこともあるんだからね~(笑) 

というわけで 『おかあさんといっしょ』 が促進剤となって
それからのサロンでは歌とおどりも取り入れることにしたんだ♪
で、パペットの声も自分が声色を使って演じ、子ども達とコミュニケーションをとらせるようにしていったんだ。



それから1年後・・

知らず知らずのうちに顔見知りのお母さん、乳幼児が増え、
『ザッキ~おにいさん』と声をかけてくれるようになり
握手やタッチをして帰る親子も増えていった。
また、保育園の園長先生、サロンの先生達も気さくに声をかけてくれるようになり
訪問のたびに駆け寄ってくる園児のファンまで出来た[ハートたち(複数ハート)]


あたたかい笑顔につつまれおにいさんは幸せいっぱい[ハートたち(複数ハート)]
これからもきっとおにいさんはおにいさんで・・[ハートたち(複数ハート)]
ありのままに・・伝えたいことをステージで演じていくことだろう・・

舞はまだ終わらない・・そう!永遠に(by ミョンヲル)



≪このおはなしは次回につ・づ・く≫






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                ~おにいさんの守り神 “はいだしょうこ” おねえさん~
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感動秘話 『ザッキ~おにいさんができるまで⑥』 [ザッキ~the History]

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(いまだに・・事故原因とか詳しくは知らないんだけど)
ちょうど玉突き事故のようなかたちでY先生の車がダンプカーに押され、すぐさま総合病院に運ばれた・・そして意識不明の重体で面会謝絶だという話を(大学の)友達伝いに聞いた。

そして・・・三月余りの間にY先生は帰らぬ人となった。
人の死があまりにあっけないもので・・・
ただ呆然とそれを聞き・・・ 
正直、“泣く” という感情すらその時は忘れていた。

もっともっと話したかったし、4年の最終ゼミもY先生のとこに入って一緒にお酒を交わしたかったのに。
大学でこんなに素晴しい仲間ができ、ボランティア先でもこんなに子ども達に愛され、
そしてやっと人って案外捨てたもんじゃない・・って思えるようにもなったし、
やりがいを感じるものも何となく見えてきたのに・・・
これからなのに・・
これからたくさん教えて欲しいことがあったのに・・
これからいっぱい見せたい人がいたのに・・
これから・・・・・・・



なくなったものは帰ってこない・・
忙しい日々と自分を待ってくれてる子ども達の笑顔だけが
そんな淋しさを忘れさせてくれる唯一のものだった。


彼女が亡くなって数ヶ月経ったころ、

自分より一足先に卒業したN先輩から電話があり “保育園で紙芝居を演ってほしい!” という依頼をうけた。
当時 “淋しさを忘れるにはより多くの子どもの笑顔に出会うこと!” と決めていたおにいさんは小学生相手の紙芝居上演と保育園の乳幼児に対してのそれがどんなに違って大変か?ということも考えず簡単に引き受けてしまった。
イエローフィシュ” での下積みもあったし、小学生相手のパフォーマンスには自信があったんだろ~ね当時。


実は、いまだに初めてのサロンに立つ時はこわいんだおにいさん。
その場所場所で持ってるカラーも違うからね。
先生方、そしておかあさん、こども。
おかあさんが笑わなければ子どもも笑わない、
やる気のない先生が一人でもいればそのサロン全体連鎖反応を引き起こす
最近はね、最初のあいさつで大体分かるんだおにいさん。グル~っと全体見回すと。
そのサロンのもつオーラっていうか♪

そりゃ~どんなオーラであろうと一旦舞台に上がったら最高テンションで飛ばすよ~おにいさん。[グッド(上向き矢印)]
だけどノッテくれるおかあさん、おとうさん、チビッコ、先生・・なんか見つけたら、
その日一日、さいこ~!って気分になるんだ。[右斜め上]


おっと!話が横道にそれてごめんなさい[ふらふら]
それで・・初めてその先輩が勤めているA保育園に訪問した時なんだけど、サロンの苦い洗礼を受けちゃったのでございます。
でもその話はまた今度ということで!



≪このおはなしは次回につ・づ・く≫

感動秘話 『ザッキ~おにいさんができるまで⑤』 [ザッキ~the History]

当時おにいさんが入っていた紙芝居サークルは“イエローフィッシュ” っていって栃木県の民話をもとにしたオリジナル紙芝居を学生3名で公演していたんだ。
おにいさんの他に先輩が2人いてイベントがある度にいろんな場所に行ってたくさんの子ども達の笑顔に出会うことができたんだ。

おもしろいエピソードとしては
(東武宇都宮駅ちかくに)オリオン通りって宇都宮の商店街があるんだけどね、突然ゲリラ的に紙芝居上演をおこなったことがあるんだ。

ほんとは別のスペースで演じる予定だったんだけど・・その場所でお客さんを待っても誰もきそうになかったからね、商店街で呼び込みしていちかばちかやってみようって♪

とある靴屋さんのまん前で『黄ぶなのおはなし』等2本を上演したんだけどさ、集まるものだね~。道行く人たちが自分達の不思議なパフォーマンスに足を止めてくれて10人前後のおきゃくさんが見てくれたかな?

ところが、後ろから靴屋のおばさんが出てきて・・[がく~(落胆した顔)]

さすがに叱られちゃうかな~っておにいさんたち思って顔をきあげたらさ
『子ども達があんなに喜んでる姿をみるのは久しぶり。いい活動やってるわね!おにいちゃん達!』って笑顔で言ってくれたんだ。
今、思い出してもとってもあったかい笑顔してたな~そのおばさん。

こういう時代だからさ、行き交う人間、笑顔なくしちゃって、
ぎすぎすして互いを罵り合っちゃったり、
たとえば・・誰かがイイことしたとしても、それを自分のことのようにほめてあげるなんてやさしさ、
なくしてしまったんじゃないかな・・なんて
当時のおにいさんは大半の人間を冷ややかに見つめてたんだけどね、

ボランティアを通じたくさんの子ども達、そしてこうした町の人のやさしい笑顔にふれあってるうちになんだかもう一度人を信じてみよう・・て考えになってきたんだ。

そしてその考えは当時の大学生活にも影響し、他の学生が無気力に生きようがそれはそれ。
自分はこんな素晴らしい活動をさせてもらってるし、
たくさんの価値ある一日一日(収穫ある生活)をおくれている。それだけで十分じゃないか。
いまあるそのあったかい気持ちを大事に思い、だれかのために頑張れる自分でいよう!
誰かに必要だっていわれる、そんな自分でいよう!ってね・・そんな気持ちになってきたんだ。

それからというものなんだか大学生活も楽しく感じるようになってきて、
数人の友達もできたんだ[わーい(嬉しい顔)]


そんなおりだったかな・・だいすきなY先生の悲報をきいたのは。


≪このおはなしは次回につ・づ・く≫

感動秘話『ザッキ~おにいさんができるまで④』 [ザッキ~the History]

さて、不思議なオーラをもつコッコ顔のY先生の話ですが、
ある日の授業中『近々、宮っこフェスタというお祭りがあるのですが(来場する)子ども達向けに誰か紙芝居をやってくれないだろうか?』と学生によびかけていた。

しかしながら・・
おにいさんが行っていた大学の(当時の)学生さんは“ボランティアをやるくらいならその時間をバイトにあてたい”って子が多かったみたいで彼女の呼びかけに無反応だったんだ。

だから・・当時、そんな無気力な学生に腹を立ててたおにいさんとしては反対のことがしたくなったんだろ~な(笑)
いや、何か不思議なものに導かれるように・・気がつけば、おにいさん一人立候補していた。

そして即決⇒サークルの先輩と顔合わせ⇒あれやこれやとトントン拍子に事が進み・・宮フェスタの舞台を踏むことに。

この年の宮フェスタ会場は市の体育館だった。
ホール狭しと(子ども達を楽しませる)たくさんのブースが立ち並ぶ中、おにいさん達の紙芝居コーナーは館の出入り口付近という賑やかな場所があてられていた。

もちろん、おにいさんにとって人前で演じるのはこれが初めてだった。
でも当時、緊張と言うより何かワクワクしたのを覚えてる。

“声が通らないといけない” と、Y先生は拡声器片手に呼び込みを開始。
何とか初回、7人ほどの子ども達が集まってきた。
おにいさんの武器である7色の声色を駆使しながら『黄ぶなの話』など、栃木で有名な昔話を2~3本演じた。
ところどころ笑いも巻き起こっていたし掴みはOKって感じだった。

そしてラストの回でと~っても感動的な出来事に遭遇したんだ。
最後の舞台には10人くらいの子ども&パパママが見に来てたかな~。
紙芝居が終わった直後、おにいさん、お客さんに『おもしろかったかな~?』って聞いてみたんだ。
うす~い反応ではあったけど(笑)何人かの子ども達がうなずいてくれてた。
そして・・多くのお客さんが立ち去る中、
なぜか、一組の親子がず~とおにいさんの方を見ているのに気づいた。
30代くらいのパパと4歳くらいの男の子といった感じ。
パパと話してた男の子がおにいさんの方に走ってきて一言。
『だから!すっごくおもしろかったってば~!』 だって。

その瞬間・・ザッキ~おにいさんの体がぽ~っとして・・。
なぜだか分からないけどすんごく興奮したんだ。

あんな小さな子が・・。
よほどの勇気を振り絞っておにいさんに伝えてくれたんだ・・って。
今思えば・・それまで自分に自信がもてなくなっていたザッキ~おにいさんだったけど
そんな自分でも “誰かのためになってる!” っていうのが最高に嬉しかったんだと思う。

この世に生を受けたものは、神から何かしらの使命を与えられてるっていうもんね。
このときぼんやりだけど、自分が何をやりたかったのか?何をやってる時、心満たされるのか?っていうのが見えてきたのかもしれない。


≪このおはなしは次回につ・づ・く≫


感動秘話 『ザッキ~おにいさんができるまで③ 』  [ザッキ~the History]

ひさびさ時間ができたのでおにいさんの昔話の続きをしようね[かわいい]
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前回は 『新横浜ラーメン博物館』 でキャストのバイトをしていた時の話をしたんだったよね。
今回はその後、栃木に出てくることになったいきさつをお話ししましょう♪
今から十数年前・・
(恥ずかしい話だけど)ラーメン博物館やディズニーランドで働いてた頃のおにいさんは、東京で知り合った友人宅に居候しつつ、銭を稼いでたんだ(笑) いつかビッグになってやるって・・ね?
で、そのころなぜか?トレーニングに目覚めてね。
誰にだか忘れたけど・・『少し痩せた方が精悍に見える』な~んて、そそのかされたからかも。[わーい(嬉しい顔)]
最初のうちは真面目にやってたんだよ~[exclamation]
今のザッキ~おにいさんしか見てない人はにわかには信じがたいだろ~けど、
体操の“弘道おにいさん” や “よしおにいさん”ばりの肉体になったんだからね~[右斜め上]
≪ふふ・・不思議なことに鍛えれば鍛えるだけ女性陣からは敬遠されたけど[ドコモポイント]
なんつ~か、人恋しい~ってザッキ~のオーラを悟ってか(笑)
しばらくするとジムの常連さんやら学生のイントラさんが話しかけてくれてね~。
黙々トレーニングやってたおにいさんは次第にお喋りに没頭し始めちゃって[右斜め下]
ま~、とかく学生のイントラさんとは凄く親しくして貰って・・
ココじゃ~言えないような “●▼■話” [exclamation×2]までお喋りする間柄になったのでした。
その子たちの影響を受けたからかな~
みょ~に “も一回学生してみたい!” “青春してみたい!” って衝動にかられ、その年の大学入試にチャレンジすることにしたのでございます[ひらめき]
東京の大学を2箇所、栃木を1箇所うけ、
結果、なんとか栃木の某大学に合格することができたおにいさんは、何歳も年が離れた若人たちとキャンパスライフを送ることになるのでした[猫]

しかしながら・・気持ちを高ぶらせて入った大学、2年もすると自分が想像していたようなハツラツとした若者像がどこにも感じられず・・(現代の若者像を見くびっていた)[バッド(下向き矢印)])次第に “こんなはずじゃ~なかったのに・・” “卒業証書だけとって、サッサと出てしまおう” といったなげやりな考え方になっていくおにいさんでした[ふらふら]

ところが・・・
こんなおにいさんの前に、この後のおにいさんの人生観を大きく変えるY先生(コッコちゃん顔&メガネの女の先生)という不思議なキャラが現れるのです。

いったいどう関わってくるのか?は又、次の機会に♪



≪このおはなしは つ・づ・く ≫


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